「口腔筋機能療法の標的『過去から未来へ』」という題でお話をさせていただきます。先生方に、口だけにとどまらず全身を見るという一つの手段として、改めてこの口腔筋機能療法を見直していただき、先生方の明日への診療のヒントに、また研究されている方にとっても臨床上でのヒントになるのではないかと思います。MFTについては、全てが解明されているわけではありません。おそらくこうではないかという私のひとつの考え方を理解していただければ幸いです。
MFTの目的・全体像
MFT(口腔筋機能療法)を行う目的が、一番目に、小児歯科や矯正の先生方では悪舌癖から起こる将来的な弊害を未然に防いであげるために一生懸命やっておられますし、矯正の先生方は、できるだけ早く矯正が完了し、後戻りしないようにするためにMFTを勉強されています。二番目には、障害児や脳卒中、口腔外科手術の後遺障害治療のために先生方が機能回復と患者さんの気持ちを鼓舞して正常な生活に早く戻ってもらうためにがんばっているわけです。それから三番目に美容や、役者さんの表情、表現のトレーニングのためにやっています。さらに最近は発声訓練、ボイストレーニングのセンターがあり、アナウンサーの養成所でもパタカラを使ったりして発声訓練をされています。
こうして、それぞれ異なった分野で「自分たちが口腔筋機能療法をやっている」という意識はないのですが、結果的には実はひとつのことをやっているのだということを認識していただきたい。未だ、各分野の人たちはMFT全体像を知るに至ってはおりません。しかし、MFTの全体像から見れば、悪舌癖も顔のたるみもリハビリもほんのわずかな領域を占めているだけで、MFTの全体像はもっと大きな影響を及ぼすということに先生方が気がついていただければ幸いです。
MFTの大きな全体像がわかってくると、人類に対してとても有効な成果が得られるという思いが私のなかで広がっています。しかし今までそれを証明する学問も方法もありませんでした。やってみたらこうなったという私の経験結果と、この3年の間に先生方にもいろんなことをされてMFTの影響の大きさに初めて気が付かれてきたという状況だと思います。私も始めてまだ3年ですから、もっと口腔筋機能療法をやった結果、いろんな分野で新しいことが得られるのではないか、新しい目標が出てくるのではないかと期待しています。
人類と猿の違い=オトガイの有無
私は、系統発生を道しるべとして、その過去、現在、未来を考えながら研究しています。系統発生の本の最後の方に顎について書いてあります。人類と猿の違いはどこか、実はオトガイがあるかないかなのです。猿にはないオトガイが人にはある。オトガイが何のためにあるか、何のために進化してきたかということが、実は不明のままだったのです。なぜオトガイが系統発生を研究されている先生方のひとつの不思議として出ているかといいますと、実は人類はこの1万年位の間に火を使うことによってどんどん顎が退化し、歯が矮小化しているのは周知の事実です。それにつられて歯も顎も縮小化傾向になる。それなのになぜオトガイだけが健在なのか、逆に発達してきたかということが、実はMFTに関する最大のヒントではないかと考えたわけです。
形態上の違いをみると、猿にはオトガイがないことと、もうひとつ鼻腔と喉頭が非常に接近しています。それに対して、人間の場合、赤ちゃんは別ですが、鼻腔と喉頭の間に咽頭ができています。
機能上の特徴は、猿の場合には会話はできるが複雑な会話ができません。それは複雑な言葉が話せないからでしょう。また、猿の場合は飲みながらでも呼吸ができますし、舌骨が比較的高位置にあります。私たち人間が一番困っている嚥下障害がおきにくいです。それからから下顎骨にオトガイがない、そしてつねに鼻呼吸をしていることが特徴なのです。
これに対して人間は複雑な言葉が話せます。人類が猿から進化してきて変わった特徴は言葉が話せるということです。そのかわり飲みながら呼吸ができません。舌骨が喉頭の動きにつられて下がってきています。下がってきているために嚥下障害がおきやすくなっているのです。それから、オトガイです。それから口呼吸ができるということです。複雑な発声が可能な器官を作ることによって、それと同時に危険も出てくるわけです。鼻腔と喉頭の間に少し空間があることによって会話や発声ができるわけですが、これを「人間の構造的欠陥」と表現する先生もいます。
しかし私は、それは欠陥ではなく進化に伴う代替器官を安全にコントロールする器官が他にできたからこそ人類はこれだけ地球上に繁栄してきたのだと考えています。
筋組織の司令塔
そうすると、食べ物と空気。空気は別の方向にいかなくてはならないと、それを安全に通過させるために生体の工夫がおこり、それで私たち人類ははこれだけ繁殖し非常に増えてきたわけです。これを瞬時に振り分ける無随意的な運動をともなうものとして舌骨の位置とそれから筋組織の連動組織をつくる必要があったのではないかと思います。そのシグナルとして、司令塔として舌筋を動かすコントロールとしてのオトガイ筋がどうしても必要だったのではないかと考えています。
猿や乳児の場合は、食べ物が横から入るので空気はまったく問題ありません。しかし人間の大人になってくると、嚥下時に喉頭が上がります。それで喉頭蓋がふたをして食べ物は安全に食道の方に流れていきます。それがいずれも舌骨が上下することによって機能しているのだと私は考えています。人類が進化の過程でどうしても必要だったのは実はしっかりした発声機能の獲得ということだったのです。その条件に合った種類が私たち今の人類だったのではないかと思います。
このように、食物の嚥下と呼吸を同じ場所で処理する必要が発生したわけですから、それを安全にするためのキーマンが必要になります。そのキーマンは喉頭の位置をコントロールするために舌骨の位置を保持します。それをいち早く機能させるために常に舌筋に指令を送るオトガイ筋からの「食べ物を飲み込むぞ」との「のど」へ指令が必要ではないかと考えたわけです。
同じようなことですが、最終的に吸気と食物の分別・ふるいわけをすばやくするためには、脳まで指令が行って反応が返っていてたのでは間に合いません。ですから瞬時に局所でそれをコントロールするために舌筋があるのではないかと思います。さらにそれをコントロールするためにオトガイ筋があります。そのためにオトガイという部分は下顎全体が退化してるにもかかわらず逆にしっかり発育してきたのではないかというふうに考えています。
また舌に関しては、私はオトガイ筋の電位差の変化から内舌筋の方に伝令がいってそれがその刺激で舌骨上筋の方に指令がきて、筋肉が動くことによって舌骨を、ほんの少し上前方に安定保持します。これが実は上気道を広くして空間を確保するという働きを生ずるのだと思います。この、唇を閉じオトガイ筋を動かすことによって内舌筋が上がる、それが実は舌骨上筋を動かして舌骨を動かすことによってこの部分の空間を確保するということが瞬時に行われるシステムを作り上げたのが実は今の人間ではないかと考えているのです。
一方、口輪筋を形成する、深層の方を形成する頬筋に関しては、別ルートといいますか、こういう頬筋が口輪筋の深層部を形成してるわけですが、それが翼突下顎縫線を介して上咽頭といいますか咽頭収縮筋を連続的に蠕動させ、食べ物を飲み込みます。こんなふうに上、中、下咽頭筋が次々に収縮して食べ物を食道・胃の方に落下させていきます。それに対して口を閉じるということ、この筋肉の作用が伝達されて舌が上方に動くことが、実はこの舌骨上筋の収縮で上前方に持っていきます。それが気道の確保につながり、他方、食べ物が十分安全に食道に入っていくというシステムではないかと思っています。ですから、口唇、下顎の下唇がしっかりした方は実は鼻呼吸がしっかりできていますので、オトガイ筋の運動が正しく舌筋に影響を与え、上顎前歯口蓋側に舌尖部が触れてくる運動をする、これが実は舌骨上筋の、嚥下運動における運動に影響関係をおこして、それが必要に応じて安定した舌骨の高さを保持することで鼻腔から喉頭や咽頭でおきている構音・摂食・嚥下への問題を解決しているわけです。ですから赤ちゃんの場合のいわゆる生後2ないし6ヶ月ぐらいの比較的舌骨の位置がかなり高い位置にある子どもと、それから成長に伴い食べ物がだんだんに離乳食から普通の食事へと出来るようになってきた子供から成人や比較的若い高齢者までの間は問題がなくなるのです。口呼吸をおこすような老化や萎縮などが口唇の筋組織におこってきますとこの問題がトラブルになってくるのだと思います。
私は以前オトガイ筋が下顎の側切歯のところからオトガイに向かっているほんの微小な筋肉であったために、このような大事な役どころを担っていると考えるのは無理があると考え、この役目は、本来はオトガイ筋ではなくて下唇下制筋の方がもっと舌に関して影響しているのではないかとも考え、かなり迷っていた時期がありました。私が意を強くできたのは、たまたま東京医科歯科大学の小児科の先生が、オトガイ筋の筋電圧を測っていくと、いわゆるレム睡眠かノンレム睡眠かを確定できるという論文を書かれているのをみつけまして、この論文を読んだときには正直私は脳天をハンマーでなぐられたような感じがしました。
なぜこの先生はオトガイ筋に目をつけたか教えを乞いたいと思っています。この先生は脳波とオトガイと腹部の働きで子供のレム睡眠かノンレム睡眠かを研究している先生です。
さて、唇をつむぐとき喉頭蓋が喉頭の蓋をして飲み込まれてきた食物は細いほうの食道に入る、普段は開いている方の気道には食べ物が入らないというシステムを確保できたのが人間であって、このシステムがいろんな条件、とくにこの口唇の閉鎖力が落ちてくるとこの調節・ふるいわけ機能がトラブルになるだというふうに考えています。