患者さんとともに「物語」を作る
Narrative based Medicine
●歯科界「信頼回復」への道すじ
今回の日本歯科医学会総会は、大きく揺らいでいる歯科界への信頼をどのように回復すべきか、という根本的な問いを内包する総会として内外の注目を集めました。江藤一洋総会会頭は、信頼回復のために「歯科医学を通して、国民への貢献の純粋な熱意を本総会の核として」学術による信頼を浸透させたい、と決意を述べています。
私たちも「患者の視点」からこの学術大会を通じて何らかの光明が見出されることを期待しました。「国際セッション」、LONDON大学のトリシャ・グリーンハル教授の講演 NBM(Narrative based Medicine)「患者の多様な訴えをいかに受け止めるか エビデンス(EBM)からナラティブ(NBM)へ」は、「疾病」や「患者」をどう見るかという原点を考察する、価値あるセッションでした。
●EBMからNBMへ・・・・・・・
EBMは、医療のキーワードとして歯科でも共通認識となっています。Evidence(エビデンス)即ち「根拠」に基づく医療は、疾患の原因を科学的に究明しそれをベースに治療を行うというもので、その発祥は19世紀までさかのぼります。当時は工業化が進み「科学」を基礎にした思想が一世を風靡していた時代です。
NBMは、それに異を唱えた構造主義の社会学者レヴィストロースの相対論や神話研究の影響をうけて誕生したNarratologyを医療に応用し、真の医療はEvidenceによる機械的・画一的な対応では達成できず、個々の人間のもつナラティブ(Narrative)「物語」の関係性を基礎にすべきであるという概念です。社会現象(疾病も)は、それに対する関わり方、見方、考え方で価値や評価が大きく異なるという考え方を前提としています。
●「疾病」ではなく「患者」を診る
「医療は誰のためのものか?」という問いに対して、おそらく誰もが「患者さんのため」と答えるでしょう。しかし現実の医療は必ずしもそうとはいえないのが実情です。NBMが評価される背景には「患者を見ずして病気を診る」現状に対する反省があります。
例えば、検査をして、データに基づいて予防の指導をする、歯周病の進行を防ぐために3ヵ月毎のリコールを行う、最高の材料と最良の治療を行うことが(たとえ医療者側が使命感や良心から「患者さんのため」と信じて行う診療だとしても)、はたして個々の患者さんの願いやQOLにとって本当にプラスになっていると言えるのかどうか。その答えは、患者さん自身が持っているのです。人間にはそれぞれ固有の環境があり、価値観や考え方即ち「物語」があり、「治療のゴール」もそれぞれ異なるのは自然なことといえます。
●患者さんとともに「物語」を作る
セッションのなかでトリシャ教授は、「病気はサイエンスの面からだけでは解決できない問題」と述べ、NBMの臨床応用を訴えました。患者が持っている「物語」(The patient's narrative)とは、「万人に共通なもの」「忘れがたいもの」「複雑なもの」「インフォーマルなもの」等10項目。また「NBMの3要素」として、1.「物語」を丸ごと傾聴し尊重する 2.「物語」を総体として聴き取る 3.複数の異なる「物語」を認める の3点にまとめ、「患者とドクターで、一緒に新しい『物語』を作っていきましょう」と語りました。これはNBMのみならず医療にとって医療者側の「人間観」「人生観」生き方そのものがいかに大切であるかを意味しています。
NBMは、日本でも臨床現場に導入されている交流分析、NLP、カウンセリング等の心理学的方法論にも通じる「患者尊重」の新しい概念です。これがEBMと相互に補強、補完しながら広がることを期待します。トリシャ教授はEBMとNBMをそれぞれ「The science of medicine」「The art of medicine」と表現し、最後にAPPLYIG THE PATIENT'S NARRATIVE IN EVIDENCE-BASED MEDICINE 「患者の『物語』をEBMに応用していこう」と明快にまとめました。医療は確実に「心の時代」に入っています。